📖 記憶がつくる読書の風景

投稿者: | 2025年11月4日

〜『平家伝説殺人事件』を再読して〜

三十数年前、浅見光彦シリーズに夢中になっていた頃の記憶が、ふと蘇った。今回、電子書籍で『平家伝説殺人事件』を読み返したのだが、ページをめくるたびに、当時の空気や感情が静かに立ち上がってきた。

あの頃はまだ携帯電話もスマホもなく、連絡手段といえば固定電話か手紙。浅見が公衆電話を探して情報を得る描写に、妙なリアリティを感じたのは、私自身がその時代を生きていたからだろう。地図を片手に、物語の舞台を想像しながら読んでいた記憶がある。

そして、今回もまた同じ勘違いをした。タイトルに「平家伝説」とあることで、舞台を宮崎県椎葉村だと思い込んでいたのだ。実際には高知県の平家落人部落が舞台なのだが、椎葉の鶴富姫伝説が私の記憶に深く刻まれているせいか、どうしても物語の背景に椎葉の風景が重なってしまう。

この“勘違い”こそが、私にとっての読書の豊かさなのかもしれない。物語の中に、自分の記憶や感情が入り込むことで、作品がより身近に感じられる。読書とは、ただ文字を追うだけでなく、記憶と風景を重ねる行為なのだ。

佐和というヒロインとの出会いも、当時の自分の感情と重なっていたのだろう。若き日の淡い憧れや、旅先での出会いのときめき。今読み返すと、浅見の揺れる心情が、どこか懐かしく、そして少し切ない。

電子書籍の便利さはもちろんありがたいが、文庫本の手触りや、ページの端に残る折り目もまた、記憶の一部だ。あの頃の自分がどんな気持ちで読んでいたのか、どんな場所でページをめくっていたのか——それらがすべて、読書の風景を形づくっている。

『平家伝説殺人事件』は、そんな記憶の鍵となる一冊だった。そして今、再びその鍵を手に取ったことで、私は過去の自分と静かに再会したのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です